ゑんぷの空虚

支離が滅裂

大人になってまで

悲しいという感情でしか生を実感できないのは、私の悪い癖だな。思えば人生の6割以上は悲しいで出来ている。10代で人生ぐにゃぐにゃになってから、音楽を始めてしまって、縋るように作りはじめた。

社会人になるとみんなバンドは辞めていく。先輩も同期もそうだった。それはきっと子供が大人なっていくようなもので、ごく自然なことなのだろう。忙しさや仕事で得られる肯定感で、音楽なんてやらなくても大丈夫になる。

これは私だけかもしれないんだけど、音楽を作るには絶妙な精神バランスが必要で、幸福すぎても不幸過ぎてもいけない。出来ればちょっと不幸くらいが続くのが好ましい。だから同じことを繰り返す毎日の中で、悲しい気持ちや怒りも私にとっては大事な感情になった。10代の頃みたいに激しい憂鬱で身動きが取れないなんてことは無くなったけれど、逆に地獄のような景色も見えなくなった。だからそういう感情がひょこっと顔を出すと、来た来た。と思ってめいいっぱい向き合うようにしている。今では憂鬱は腐れ縁の知り合いみたいなものだ。

結局、言いたいことが無くなったり、何も見えなくなったら音楽を作らなくても大丈夫になるんだと思う。別にそれは悪いことじゃない。でも自分が好きで大人になってまでも続けている以上、対価を払うべきだし私は悲しみとともだちで居続ける。