ゑんぷの空虚

支離が滅裂

ハーモニー

 提出期限を過ぎたので記録。

 

私たちはメディアに囲まれている。メディアで身の回りを固めた、と言った方が適切かもしれない。なぜこの表現が適切なのか。その答えが、今私たち“ひと”の持つ身体イメージと精神に深くつながる。結論から言うと、私たちは自分の身体を強いものだと思い込むようになり、自意識を持っているつもりで生きるようのなったのだ。ハーモニーの作中の世界と現代私たちの生きる世界の相似点を洗い出しながら、考察していく。

 


作中の人々の体内にはWhatchMeがインストールされており、体内の健康状態が常に監視されている。現代の社会ではどうだろう。多くの人がSNSを利用して、自分の生活を世界中の人の目に晒す。戸籍は管理され、何をするにも身分証明が必要であることが多い。街には監視カメラが溢れている。もう、誰の目にも触れずに生きることなど出来なくなった。作中では、人間が身体の管理を外注に出したことで、人は外部のシステム無くしては身体維持することすら叶わなくなっている。私はこの文章をただのSF小説の設定だと思って読み過ごせなかった。私たちの世界でも、以前は自分で行なっていた身の回りのことはビジネスになり、他人任せの生活をしている。例えば、知らない事柄や場所などをすぐスマートフォンに聞いて調べてもらったり、定期的に健康診断を受けて悪いところを治してもらったり。この状況に自分一人では生きられなくされた、と言っても過言ではない。そして、作中の子供達は歴史を知らない。過去の画像には検閲がかけられていた。この作中でなされている教育には違和感を感じざるを得ない。では、私たちは本当に自由にものを見聞きしているのだろうか。私たちは歴史を学び、ニュースを見るが、それらが真実なのかは知り得ないのだ。極端に言えば、真実であろうとなかろうと、目の前にある情報を信じるしかないのだ。私が真実だと信じてやまない情報が全て虚構であることもあり得るのだ。

 


結局、ミァハとトァンは「わたし」という意識を持たざる世界を選んだ。なるようになったのだと私は捉えた。このような世界を進み始めたら、自意識を持たない世界はごく自然に訪れる。今私たち人は意志を持っているのだろうか。何をもって私たちが意志を持っていることを証明できるのか。自分さえ自らの意志を証明できない。現代、私たちの感情はメディアに大きく左右されている。犯罪を報じるニュースに怒り、遠いところで起きた災害を知れば悲しむ。メディアによって人は購買行動を起こすこともある。メディアは人を動かすことができるのだ。私たちはメディアに何もかも動かされているのだ。しかし、当の私たちはその自覚はない。本文の言葉を借りると、人類はまやかしの永遠を選んだのだ。継ぎ接ぎの出来損ないであることの否定を。自然を圧倒し、私たちが生きるこの世界すべてを人工に置換したのだ。今、私たちの身体は以前よりも強くなったと思い込んでいる。他の動物よりも強いと思い込んでいる。病気をしても、ケガをしても大抵は治るから。そして意志の在り処がまだ自身の中だと思い込んでいる。自身から生まれ出たかのようなこの意志は、メディアという人工物に誘発された物だと思うのだ。もう、ハーモニーの世界は現実に始まっているのかもしれない。